Les Cadeaux Sinceres by CHIHIRO HATANAKA

お菓子の歴史

The history of sweets

第4話 アンヌ・ドートリッシュ
(Anne d'Autriche) 1601-1666

苦い飲み物は「神様の食べ物」として尊ばれ、疲労回復剤として珍重されていました

チョコレート、その紀元はとても古く、主材料のカカオ豆は、紀元前2000年頃から古代メキシコで栽培されていたと言われています。
当時勢力を誇ったアステカ王国では、カカオ豆をすりつぶしたところにバニラやスパイスを加え、飲まれていました。
ショコラルトル(ショコラショーの原型)と呼ばれたこの苦い飲み物は「神様の食べ物」として尊ばれ、疲労回復剤として珍重されていました。

16世紀、大航海時代にスペインのコルテス将軍がアステカを征服し、財宝と共にカカオをスペインへと持ち帰ります。
スペインでは、砂糖を入れて甘くし、温かい飲み物として特権階級に人気となり、殊にスペイン王のお気に入りで、カカオはスペインの独占品となりました。
このチョコレートをフランスにもたらしたのが、スペインのハプスブルグ家出身のアンヌ・ドートリッシュ(フランス王ルイ13世の王妃)です。
彼女は、14歳で同じ歳のルイ13世に嫁ぎます。お興入れの際、チョコレートの調合をする侍女を連れていったことから、たちまちチョコレートがフランス宮廷の流行となりました。

アンヌはヨーロッパ一の美貌と評された王妃でしたが、ルイ13世とは不仲、母后 マリー・ド・メディシス及び宰相リシュリューとの対立でつらい結婚生活を送ります。
このような不遇に耐え、37歳で待望の世継ぎ、後のルイ14世を出産。5年後にルイ13世が亡くなると、4歳で即位したルイ14世の摂政となり、宰相マザランと共に政治を司ります。
三十年戦争、フロイドの乱など激動の時代を戦い抜き、フランス王国の領土を広げ、ルイ14世に引き継ぎました。

家族でパリに滞在した時のホテルは、ルーブル宮殿の北隣、パレ・ロワイヤル(Palais-Royal)の近くでした

2010年、家族でパリに滞在した時のホテルは、ルーブル宮殿の北隣、パレ・ロワイヤル(Palais-Royal)の近くでした。

ルイ13世の死後、アンヌはルーブル宮殿を出て、2人の王子と共に当時パレ・カルディナルといった城館に住みます。 ルイ14世が住まいにしたことで、その後パレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれるようになりました。 ブティックや画廊が並び、モダンさと中世の建物のコントラストが素敵でした。
回廊に囲まれた美しい庭園を思い出してみると、この歴史を知っていれば、更に深く感じ入った事だったでしょう~と思うのです。

その美貌からか、アンヌの人生はエピソード性に富んでいて、殊に、バッキンガム公との恋愛は有名で、デュマの小説「三銃士」の題材にもなり、アンヌは実名で登場しています。
優美さに加え、アンヌの白く美しい手は名高く、その美しい手で優雅にホットチョコレートを飲む様子を想うとうっとりしてしまいます。

1615年、カカオの本家スペインからアンヌがフランスにもたらしたカカオは、1660年王女マリア・テレサ(アンヌの姪)がルイ14世に嫁いだ時にチョコレートコックを同行し、 そこから本格的にヨーロッパに広がっていきました。

その後、
1828年、オランダのヴァニホーテンがカカオから油脂分(カカオバター)の3分の2を取り除く事に成功。ココアパウダーが誕生。
1847年、イギリスのフライ・アンド・サン社が、ココアパウダーを作った副産物カカオバターを利用してチョコレートを固める技術を開発。固形のチョコレート誕生。
1876年、スイスで、固形のミルクチョコレート誕生。

と、この様にチョコレートは時代と共に形や味わいを変え、様々な国でたくさんのストーリーを生み、人々を惹きつけてやまない魅力を放ち続けてきました。
アンヌ・ドートリッシュも、4000年という長いチョコレートの歴史の1ページを担った王女様だったのです。